ちあきです

 

私の人生について振り返ってみると、

 

最終決断は自分の意志で決めているような気がしますが、

 

「選択基準」においては、すべて身の回りの人に嫌われないかどうかを

気にしてきたような気がします。

 

どうも自分の人生を生きていないような気がしていたのは、

そのせいだったのか…。

 

 

最終的に選んだのは私なので、

その決断に後悔はしていませんし、

誰かのせいにするつもりもありません。

 

ただ、私の

「人に嫌われたくない精神」は、

少しいきすぎていたかも…。

 

 

そもそもどうしてそんなに嫌われることが恐怖なのかというと、

幼い頃によく兄と比べられていたことが原因でした。

 

素直で人を頼ることができる兄は、

弱い部分もひっくるめて愛され、多くの友達や親せきに囲まれていました。

 

かたや私と言えば、

そんな兄のようにはなれず、自分の想いを口にしない子供でした。

そのため親からは「へそ曲がり」と言われており、

そういわれたときのなんともいえないぐるぐるとした感情を、今でも思い出すことができます。

 

「兄に比べて、私はヒトカラ好かれるタイプではない」

 

そう思ってきた私。

 

私が小学生の頃、

夜になると兄は両親から計算問題や国語の問題などを教えてもらっていました。

私は一人、部屋で両親と兄の声を聞きながら

「かまってもらえていいなぁ」と思っていました。

 

私がいても兄から邪魔者扱いされ、

両親は兄へ教えるのにいっぱいいっぱいで、

ただ黙って一階の部屋から、二階の様子をうかがうことしかできませんでした。

 

その時は寂しかったです。

 

兄は両親にとって最初の子供で、

何をやるにも初めての経験。

一方で私は、親曰く

「ほったらかし」だったそうです。

 

きっと私のことを愛してくれていない、とかそんなことはないと思うのですが

そういうことを聞いてしまうと

「もっとかまってほしかったな」

「もっと愛されたかったな」

と思ってしまうものです。

 

 

もっと愛されたい、もっとかまってほしい

兄みたいに…

 

と思っていましたが、

私は「へそ曲がり」だから愛されない。

親に嫌われてしまう。

 

それがすごく怖かったんだと思います。

自分で自分の存在を認めることができず、

他社への承認欲求がものすごく強くなった。

それと同時に、嫌われることを極端に恐れるようになった。

 

常に人の顔色を伺い、なるべくクラスでも目立たないようにし、生きてきました。

 

「自分のことは何とも思ってほしくない」

「気にしてほしくない」

 

と思いながら。

 

 

そんな私の嫌われたくないあまりにとった行動が、

余計に勘違いを生んでしまうわけですが。

 

いずれ違う記事に書いていこうと思います。

 

 

28歳になりましたが、

今この瞬間に気付けて良かったと思います。

 

人の夢の奴隷にならない。

自分の叶えたい理想を叶えること。

 

昔よりはほんの少しだけ、自分の意見が言えるようになってきました。

 

人生を誰かに預けてしまうことは、

レールが定められるという意味では安全ですが、

人生を楽しむことが難しくなってしまいます。

人生が楽しい瞬間というのは、

自分の意志で一点の曇りもなくその時のベストだと思う道を選び、

その道で全力で生きていること。

 

今の私は、どうだろうか。

全力を出すことができているか?

全力を出せたら、きっともっとできているはず…

ではなくて、

今この瞬間から全力をだして発信すること。

日々一つ一つの行動に全力でない人間が、

急に全力を出す事はできません。

 

日々、全力!