ちあきです。

 

最近PATMに関する記事を書いていませんでした。

 

PATMのことは正直、誰にも言いたくないコンプレックスとして10年あまり口を閉ざしてきたので、

 

ブログにすら書くのもすごく抵抗があります。

 

それでも書くのは、PATMに関するブログ記事の少なさから。

 

まだまだ日本では認知されていない病気。

 

発症してから10年以上たちますが、周りに同じ症状の人はいません。

 

(ネットでは調べると少なからずいらっしゃるようなのですが…)

 

自分自身でも、確実に反応されるのに、時々「勘違いじゃないかな」とすら思えてきます。

 

いや実際に反応されているんですけどね、それすら幻想?みたいな。

 

反応は止まらないけれど、自分の心の持ち方を毎日変えていって、

 

ポジティブな解釈ができるようになったら、いつの間にか反応が収まっているとか…

 

ないかな…

 

 

ないよな…

 

と、諦め(悟り?)ムードです。

 

 

それでもスムージーを毎日飲んだり、胃腸薬を飲んだりして、

 

腸の調子を良くしようとしています。

 

一番怪しいのが腸だから。

 

自分の場合はIBSガス型もありそうな感じで、さらに頭皮も弱いので

 

すべてに関連している胃腸から探っているわけです。

 

それも長期的な戦いになると思う。

 

臭いは目に見えないから、改善が分かりづらい。

 

もしかしたら、一生PATMを背負っていくことになるかもしれません。

 

でも、今はそうなったらそうなったで自分に必要なことかもしれない、と思えています。

 

こういうの似非ポジティブと言われるかもしれませんが、

 

自分でこれまで散々頑張ってきてその結果がこれだから、

 

心も疲れてしまったし、

 

いっそ今までしてこなかった「PATMの肯定」をしようかな、という方向になっています。

 

反応する人もしない人もいる。それでいい。

 

反応されていもいい。

 

反応されなくてもいい。

 

周りの顔色を窺わなくていい。

 

窺ったところで

 

「私ってなんの臭いします?」

 

「どうしてくしゃみ出るんですか?」

 

とも聞けないし、

 

PATMが改善するわけでもないから。

 

 

PATMであるこの状況を変えたい。

 

けれども、頑張っても頑張っても変わらなかった。

 

 

「PATMは嫌だ」と思ってきましたが、

 

もう「PATMでいい」のかもしれません。

 

 

 

PATMである自分への否定に必死になってきた過去。

 

もうこれからは、自分のことを責めたくありません。

 

 

PATMである自分を受け入れるっていうのがこういうことなのか、よくわかりませんが

毎日少しずつでも、状況を変えるためにできる限りのことをしたい。

 

諦めつつも、諦めることすら「PATMを改善するヒントかもしれない」と思う私は、

やっぱりPATMである自分を責めてしまっているようです。

 

もっと楽に生きたいな…

そう願ってのタイトルです;;

 

 

他人におびえ、近づくことを拒否し、

いっそ誰にも近づいてほしくないと思いながらも、

心の底では寂しさを抱えている。

 

いい加減こじらせてしまっています><

 

PATMであることは、メッセージなのかもしれない。

 

誰かに心を預けて、頼ってみよう。

どうしようもない自分を、さらけ出してみようって。

 

 

PATMであることを隠そうとするから、余計に罪悪感を感じるのかもしれません。

PATMだって個性の一つ。

堂々と生きることができたら、気にならなくなるのかも。

 

周りに迷惑をかけている、というのは

PATM以外で迷惑をかけていないからかも?

真面目で責任感が強く、ひとりで抱え込む。

 

そんな頑張り屋さんが頼ることを学ぶために、

PATMが教えてくれているのかも…。

 

 

改善したら、すべての答えがわかるのかな。

 

どうして今の自分がこうなっているのか。

 

どんなふうにPATMと向き合えば良いのかが。