何をするにも、何をしないにも。

常につきまとうのが「罪悪感」。

 

■「他人のための人生」なのか?

 

私はなんのために生きているんだろう。

そんなことを考えるまでになってしまった。

おそらく私は、暇なのだと思う。

けれども、新しい物事にチャレンジするだけの気力があるわけでもない。

何かをしなければならないと思いつつも、できないでいるままの人生だ。

 

もう、こんな時期が30年近く続いている。

生まれから、ずっとだ。

 

いつも私は見えない何かにおびえ、

批判されないように生きてきた。

それでも批判されることはあるのだから、

もはや自分で制御できることではないと分かっているはずなのに。

 

それにもかかわらず、批判を恐れるのは。

私の中で「他人」という存在が、私以上なのだからなのだと思う。

 

■他人の判断がないと不安になる

 

何かを判断するとき、自分のことが信じられなくて、

誰かの言う通りにしたい。

上手くいかなかったとき「自分で決めたことじゃないし」って思えるから。

自分自身がものすごく後悔して、その後悔が数年にもわたり続けることを知っているので、

できるだけサッと立ち直れる方を選びたい。

苦しみにこれ以上向き合う気力はもうない……。

それが、私が今、先に進めない大きな理由のひとつだ。

もう、苦しい思いをするのはごめんだ。

私には「苦しい思いをしなければ、成功できない」という思い込みがある。

それも捨ててしまいたい。

苦しい思いをしなくても、成功できるし、評価もされる。

 

 

でも、そんな生き方をしようにも「罪悪感」がつきまとう。

 

このままでいいのか?

そんな生き方をして、親を悲しませはしないだろうか。

 

 

私にとっての「他人」とは、「親」なのかもしれない。

実際の他人は、私に興味がないので特に何も言わないだろう。

だがしかし、親はあれこれ口出ししてくる。

もちろん心配ゆえというのは分からないでもないが、

私は「他人の意見」にとても流されやすく、弱い。

できれば私のやることに反対しないでほしい。

でもきっと、他人は自分の鏡。

自分が思っていることを、親の姿で言ってくれているだけなのだ。

「他人」とは「親」かもしれなくて、「親」は「私」の鏡かもしれない。

 

すべてをさばいていたのは「私」。

自分の可能性を自分でつぶしていたのも「私」。

 

「私」は、どうなりたい?