PATMについての記事を書くのは、久しぶり。

毎日、他人の反応を気にしながら生きているので、PATMのことを忘れていたというわけではありません。むしろ、自分で症状を自覚した日から、忘れたことはないといっても過言ではありません。

 

完全に一人でいる時でも

「買い物に行きたいけれど、また反応されるのかなぁ」

という不安がつきまとって離れない。

 

まるでPATMと共に生きているみたい。

中学生の時から、人生の半分以上、PATMを気にして生きている。

 

今でこそPATMを自覚する人も増え、インターネットの普及にともなって

「PATM」の名前が広く伝わるようになってきたけれど。

 

中学生の私にとっては、

「なぜか自分の体質だけが変になった」

と思うことしかできませんでした。

そして、その状況を親に話すことも、医師に話すこともできなかった。

 

「恥ずかしい」

「どうせ言っても信じてもらえない」

「言ったところですぐに直るわけじゃない」

 

そんな気持ちがありました。

 

でも、今思えば若いうちに少しでも周囲の大人を頼っていれば、

慢性化することはなかったのかも?もう少し改善していたのかも?と、思わなくもありません。

 

真面目で頑張り屋。

頼ることが苦手で、いつも一人で色々な物事を抱え込んでしまう。

苦しくても、相談できる相手なんかいない。

自分のことも信用できない。

しんどい、けれども周りに迷惑をかけられないから。

しんどくても、毎日辛い思いをしながら頑張って生きている。

 

まるで当時の自分のような、こういう性格の人が

PATMになりやすいのかな。

分からないけれど、今ふとそう思いました。

 

抱え込むのが悪いことじゃない。

頑張るのが悪いことじゃない。

 

きっとPATMは、

「もう頑張らなくていいよ」という合図なのかもしれない。

 

それでも頑張ってしまう。

目先の生活があるから。

 

色々、「これはPATM」に効く!というものを試してはみるけれど、

どれもはっきりとした効果を感じられない。

常に周りの反応が気になるけれど、直接聞くなんて絶対にできない。

 

なぜなら、PATMであることがバレたくないから。

ずっと、バレないように頑張ってケアをしてきた。

なのに、自分の黒歴史(現在進行中の)を自らバラすような行為なんかとてもできない。

 

そうやって、すでに周りにバレているのに、

必死で自分を守ろうとしていた。

 

PATMであることを、一番認めたくなかったのは自分自身。

 

 

でも、もう認めるしかないのだ。

私はこれからも、PATMと一緒に生きていく。

そのうえで、何か改善の手立てがあれば積極的に実践していきたい。

 

一緒に生きていくしかない。

ならば、とことん付き合おう。

PATMとも、自分の本音ともしっかり向き合って。

 

PATMの自分を心から受け入れられた時、きっと何かが変わる気がする。

 

PATMというのは体の問題でもあり、心の問題でもあるのだ。

 

体の問題は、普段の食生活やシャンプーの仕方などを見直すとして、

心の問題には、自分がきちんとそれに向き合うこと。

 

「私はPATMじゃない。周りのことなんか気にしない」

という考え方をするのが性に合っている人は、そのまま改善を目指していったらいいと思う。

ただ、自分は

「私はPATM。認めたくなかったけれど、PATMなんだ。

それでも今、自分のそばにいてくれる人たちと幸せに生きていきたい」

と思っている。

もういい加減、PATMであることを認めてあげたいのだ。

PATMを忌み嫌う、それは自分にとっても辛いこと。

 

もういっそ全部抱きしめて、受け止めて、前に進んでいきたい。

そのために

「私はPATMだ」

と、自分自身を肯定したいのだ。